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【第6回:なぜ勉強するのか】五十嵐先生の結論と「自学力」

 

新道東の五十嵐です。

「なぜ勉強するのか」誰もが1度は思うこと。

最終回となる今回は、五十嵐先生の結論を書いてみようと思います。

 

なぜ勉強するのか?(本編)

 

「なぜ勉強するのか」という問いに対し、“プロローグ”と題した以前の記事で「現代社会の変化に適応するために、自分自身のことを自分自身で選択・決断する力が必要だから」とだけ私は回答しました。

そして、前提として「現代の日本社会が物凄い速度で変化している」ということを知って頂くために「現代社会の変化」の具体例を4回にわたって解説してきました。

最終回となる今回の記事では、改めて「なぜ勉強するのか」について私の結論を述べたいと思います。

 

・はじめに

・現代社会の変化

・現代社会を生き抜くための力

・なぜ勉強するのか

 

はじめに

 

今回取り上げたテーマ「なぜ勉強するのか」。

あくまでも「なぜ勉強しなくてはならないのか」ではないことを最初に申し上げておきます。

 

“プロローグ”と題した以前の記事の中でも、

「学校はいらない」「勉強したくなきゃするな」「学校なんか辞めろ」

…と、かなり過激なことを書いておりますので、そちらも併せてご覧下さい。

現代社会の変化

 

「なぜ勉強するのか」を解説する前に「現代社会の変化」の具体例を4回にわたって解説してきました。

現代の日本社会が物凄い速度で変化している」という具体例を経済・人口・倒産・年金など色々な角度から見てきました。

これらは全て「過去」と「現在」では明確に変化していることです。

今時の学生さんには分からない話ですが、今、私達が当たり前のように使っているスマホだって10年前はガラケーでした。

「ガラケー」という言葉自体もスマホの台頭によって普及した言葉であり、昔は誰もが当たり前のように「ケータイ」と呼んでいました。

「ケータイ」が「ガラケー」と呼ばれる時代が来るなんて、いったい誰が予想できたでしょうか?

 

スマホ1つを例にしても「過去」と「現在」では明らかに変化しています。

そして、以前に解説した経済・人口・倒産・年金などから見ても「未来」には更なる変化が訪れることは明らかでしょう。

 

科学技術などの発展により、このような変化が“加速度的”に起きています。

つまり、変化するスピードがどんどん速くなっているのです。

 

現代社会を生き抜くための力

 

ここからが本番です。

先程までの内容は、前回までの記事で解説してきたものでした。

 

このように加速度的に変化している現代社会。

世間で言う「常識」や「普通」という言葉でさえも普遍的なものとは限らなくなってきました。

 

そういった社会を、これから私達は生きてゆくことになります。

このような時代背景を踏まえると、私達はどのように生きてゆくのが望ましいでしょうか?

 

それは「社会の変化に常に適応し続けてゆくこと」だと私は考えています。

たとえ今うまくいっている物事であっても、10年後、20年後、30年後も同じようにうまく続くとは限りません。

 

たとえば、今人気のユーチューバーという職業も、登場から歴史が浅く、今後もどうなるかは分かりません。

Google(Alphabet)社の動向次第でもありますし、また既にレッドオーシャンと呼べる程に飽和しているようにも個人的には感じられます。

 

また、札幌自学塾のブログ記事を紹介しているFacebookも、運営会社の社名がFacebookからMeta Platformsに変更されました。

同社の今後の事業の核をメタバースに据えるとのことらしいのですが、Facebookという誰もが知っているようなサービスを運営する会社でさえも変化をしているのです。

 

将来を予想する…というのはあまりにも難しいことです。

ですが、時代がどのように変化しても柔軟に生きてゆける、そのようなたくましさ・しなやかさがあれば、どんな社会でも過ごしてゆけるのではないでしょうか。

 

そして、社会の変化に適応するということは「自分のことを自分自身で選択・決断すること」だと言い換えることもできます。

自分で自分自身のことを選択・決断ができないと、社会の変化に取り残されてしまいます。

つまり、社会の変化に適応できない=淘汰に繋がると私は考えています。

 

ここで、自分のことを自分自身で選択・決断するというのがポイントになります。

いやいや、社会の変化に適応できさえすれば良いのだから、誰かに委ねりゃ良いじゃんと思う方も居るかもしれません。

 

確かに、たとえばコンサルのように、その道のプロに教えを乞う機会もあります。メンターであっても構いません。

ですが、あなた自身の人生なのですから、最終的な決定権者はあなた自身です。どうせ彼達は、あなたの人生に責任を負いません。

 

目上の人や歴史上の偉人など他人を頼ること自体は間違いではありません。

1から10まで他人に委ねっぱなしになることが問題なのです。

 

自分のことなのに他人任せ、それはただの思考停止です。これは、私が一番危惧していることです。

人間が他の生物と最も異なる点、それは「高度に物事を考えることができる」ということです。

 

そして、考えると言えば、やっぱり勉強ですよね!

ようやく学習塾のブログらしくなってきました。

 

なぜ勉強するのか

 

私が「なぜ勉強するのか」という問いに対し「現代社会の変化に適応するために、自分のことを自分自身で選択・決断する力が必要だから」と回答したのは、このような思考に基づいています。

 

思考を停止するということは、せっかく人間として生まれながらに享受した高度に物事を考えることができる」という才覚を放棄するのと同義です。

世間一般で言うところの「頭が良い」「頭が悪い」は決して関係ありません。

 

たとえ「頭が悪い」と呼ばれる側の者であっても「高度に物事を考えることができる」という人間としての才覚を享受していることには間違いありません。

要するに、あとはその才覚をどこまで研ぎ澄ますことができるかというだけの話です。

 

美しい輝きを持つダイヤモンドでも、その原石はお世辞にも全然綺麗だと呼べるものではありません。

宝石としての特殊な研磨を施すことで初めてその輝きを得るのです。

 

人間もこれと同じことです。「高度に物事を考えることができる」という才覚を研ぎ澄ますために勉強をするのです。

思考停止に陥らないように。自分のことを自分自身で選択・決断できるようになるように。社会の変化に適応するように。現代社会を生き抜く力を得るように。

 

ここで言う勉強とは、皆さんが想像するような国語や算数という解釈で結構です。

ただ、それは、あくまでも「勉強の入口」に過ぎません。

 

もちろん、国語や算数そのものから得られるものも多くあります。

たとえば、論理的思考力(塾長が言うところの言い換える力、比べる力、たどる力、推論力)もその一例です。

 

ですが、本質的に大切なことはもっと先にあります。

「学生時代に行う勉強」とは「分からないことを自分で調べて身に付けるという行為」の練習だと私は考えています。

そして、これは札幌自学塾の言うところの「自学力」そのものです。

 

「大人になってからも勉強は続く」と普段から私は口にします。

そして、より高度に、より専門性が高まる程に、教えてくれる人は少なくなってゆきます。その分野の先駆者がどんどん少なくなるからです。

そうなると、いよいよ自分で学ぶしかありません。

その際に、分からないことを自分で調べて身に付けるという練習を怠った者にとっては相当過酷な想いをすることでしょう。

あるいは、挫折してしまうかもしれません。それこそ、先に述べた思考停止です。

 

「古文や二次方程式の勉強なんか将来何の役に立つんだ?」と喚く学生も多いでしょう。

実際に、社会人の大半にとって、それらの知識は直接的には不必要なものかもしれません。まず日常生活で関わる人は少ないでしょう。

 

ですが「学生時代に行う勉強」とは、個々の科目そのものの点数ではなく、あくまでも、分からないことを自分で調べて身に付けるという練習を目的とした行為なのです。

そうした経験を踏まえて「考える力」が研ぎ澄まされてゆくのではないでしょうか。

 

 

 

最後になりますが、社会の変化により、自分自身の人生を大きく左右するような選択・決断を迫られることがあります。

最近で言えば新型コロナウイルスの蔓延、少し前ですと東日本大震災やリーマンショックなど多くの人が予想だにしない出来事が実際に起きました。

 

将来を予想するのはあまりにも難しいこと。

ですから、私の教え子には、分からないことを自分で調べて身に付ける練習を繰り返し、考える力を研ぎ澄まし、未来がいかなる社会であっても躍進することを強く願っています。

 

 

 

「なぜ勉強するのか」誰もが1度は思うこと。本シリーズは今回で最終回となります。

長くなりましたが、ご覧頂いた方々には感謝を申し上げます。

 

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